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2013/05/10

映画「飯舘村」

13050501 実はこの連休、イタリア映画祭に先んじて観たのがドキュメンタリー「飯舘村」副題「放射能と帰村」だった。
 
最初は村民の皆さんの声。
大事な牛を殺処分に送りだす、悔し涙。当初避難指示がなく高線量地域に留まってしまった、我が子への懺悔。一方「年越しは我が家で」と家に帰る家族の様子も描かれる。
 
さまざまな問題。
被曝量の安全基準値、年間20ミリシーベルトとした国の判断に対する不信。森林の除染は外縁から20mまでしか行われない。農家に多い土壁は現在の方法では除染ができない。除染に関しては別の場所で聞いたことだが、どうせ住めないのなら中途半端に除染にお金なんかかけずにほかに回して欲しいと訴える方もいらっしゃるそうだ。
 
終盤のある村民の方の言葉が重い。
世代によって帰る帰らないの判断が異なる。家庭の分裂が起きている。老人だけが帰村してどうなる。除染除染と言うが汚染は放射能だけではない・・・・・「心の汚染」もある。
 
 
 
 
 
実はこないだ偶然に飯舘村の方と話をしてきたばかりだった。
 
「よお仮面ライダー、おれあ東京から被爆の村に帰ってきたんだよ!」
以前僕の地元近くの某市ににいらしたそうだ。最近催された東電の説明会がまとまらなかったそうで「言ってやったよ!お前らいくら手をついたって頭さげたって自然は元にもどらねえぞ!って」
自然は元に戻らないというこの言葉の前に原発推進者は明解な反論をできる?
 
ちなみにこんな話をしてるとき、僕の脳内では、その説明会で槍玉にあげられてる東電社員の横で頭をさげてる自分がいる。恥ずかしながら自分たちが福島の原発で作った電気を使ってるという認識はなかったが、実際にはそうであって、しかも事故まで至った。
 
もう少し東電管内の僕らは責任を感じるべきじゃないかと思う。なのに見えない影に怯えて福島の人を避けるとか検査済みの福島の産物まで厭うとか。加害者が被害者をさらに傷つけているように見えますな。
 
 
0f06 今年も南相馬市小高区に通うつもりでいるのだけど、今のところ金曜は作業がないみたいだ(T_T)
 
依頼者の方々も自宅まで遠い避難先から来なきゃならないから、やっぱ週末がいいのかな?と想像を巡らせてたのだけど、どうやら高速道路無料も終わってしまったこともあり、ボランティア減少により平日はマッチングが成り立たないとセンターのほうで予測して作業設定していないようだ。
 
「飯舘村」を撮られた土井監督に、帰村は果たせるのか?こうした撮影を終えてどう感じてらっしゃるのか伺ってみたら、「無理でしょうな・・・」と即答だった。やっぱし・・・・・そう除染は中途半端だし、ここまでやれば絶対安全という言葉は使えないだろうし、南相馬でも感じることだけど、たとえばある集落で、多くの家のなかの1軒が戻ろうと思って片付けしていても、その1軒のためにライフライン復旧をしてくれるだろうか?治安は?店も仕事も無ければ生活が成り立たないのでは?
 
僕の場合、先は見えないがいずれにせよ、それを望む方がいらっしゃるなら作業に参加しようと考えている。損得勘定無用のボランティアだからね。結果的にその方が帰村・帰宅を諦めることになってもそれは仕方が無い。そのときのお気持ちに沿えればいいのだから。
 
 
 
つながり∞ふくしま缶バッジでお馴染み、南相馬の障がい者自立研修所「えんどう豆」を訪ねたさい、所長の佐藤定広さんから「スマイル」と題されたCDをいただいた。これは「福島の子ども達に笑顔をプロジェクト」によるもので、相双地区(相馬・双葉)の幼稚園~高校まで22校の子ども達が参加している。明るく楽しい、元気いっぱいの曲ばかりだった。佐藤さんのお子さんも合唱に参加している。
 
そうやって明るく前へ進もうとする一方、佐藤さんは所の運営に努力されながら、ご自身の生活だって放射能に翻弄されつつ不安がいっぱいなのだ。そして福島だけが取り残されてゆく実感に危機感を抱いてらっしゃる。たしかに原町から6号線沿いにちょっと南に走るだけでも、大型トラックが刺さって大破した民家がそのままに置かれているのをいまだに容易に見るのがこの地域だ。だから佐藤さんは童話を作ったり講演に出かけたりしてさまざまな人々に福島に目を向け続けてもらうべく活動されている。
http://minamisoma-fc.jugem.jp/
 
原発はとてものこと押さえ込めないし、放射能に関するさまざまな悪いニュース、復興予算が信じられないカタチで消費されていたり、暗い話が多いなか、さらには仮設避難先などで周辺住民から「早く帰れ!」とプレッシャーかけられたりという話まで聞こえてくるそうだ。
 
落書きしたり声に出したり、それはきっと一部の人のすることだろう。また震災後2年目のストレスはご自分たちの生活を多少なりとも削った受け入れ側にも当然あるでしょう。それもまた大変なご苦労だと思います。
表面上直接かかわらない遠隔地にいる僕らもあらためて支える気持ちを見つめ直さないといけない時期なんだろうと思う。即座に具体的にできることが無くても構わない。まずは言動ひとつ気をつければいいのだから。次に野菜1袋でも買って食べるところから始めよう。かつて「きずな、きずな」と盛んに言っていた周囲の真価も問われる。

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