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2011/09/12

9.11  3.11

9.11から10年だ。
 
日本で普通に暮らしているかぎり、直に憎しみをぶつけられるということはなかなかないと思う。あの時ほど人間の憎しみの恐ろしさを実感したことはない。
 
11091000 あの事件の衝撃だけでも記憶から消えないのだけど、もうひとつ、たしか3度め、のイタリアに行ったことでも忘れられない年だ。
 
なにしろ9.11の2週間ほど後の渡航。
先に船でカリフォルニアをジェノバに送ってしまっていたのでとても中止はできなかった。夢にまで見たイタリアツーリングだったんだもの。
http://www.motoguzzi-jp.com/moto_guzzi_day/massi_01.html いま読み返すとちょっと恥ずかしいツーリング記。
 
ミラノ経由ローマ行きのJAL機は席がガラガラで、それをいいことにオバサマ達がシートを3~4席占有して横になっていた。外人CAにそれを見られるのがとっても恥ずかしかった!!
 
マルペンサ空港の入管で僕ら日本人はパスポートをチラ見しただけで流れ作業で通されたが、少しあとから入ってきた飛行機1機ぶんのイスラム教徒と思しき人々は、女性であろうが小児であろうが執拗なまでのチェックを受けていた。
 
暗い時代の始まりを思わせる重く暗い雰囲気だった。
 
 
 
11091001 昨夜は南三陸のときのボラ仲間が八幡さまの祭りでざわめく吉祥寺に来てくれて再会。ハモニカ横丁の田楽山~井の頭公園~ヌードルチャフェとハシゴした。
 
各地でボラセンがそろそろ閉鎖、なんて聞こえてくるが、離島などまだまだ手が入っていないところがある。みなさん9月の連休もどう使うか思案中だ。(僕は連休にならないんだよね、泣)
 
実ははまセンで4ヶ月に及ぶ活動を終えて奈良に帰る途中の3代目ボラリーダーも来てくれた。「長い間お疲れさま~!」と飲んでいたら気仙沼大島で新たな活動を始めた初代ボラリーダーから「大島に来ない?」と電話が入ったのは笑った。4ヶ月ぶりで奈良に帰る途中なのに(笑)
 
しかしみんな本当にスゴイ。1ヶ月います、2ヶ月います、チェーンソー買ってまた来ちゃった、そんな頑張りやさんがたくさんいる。頭が下がります。
 
 
 
一夜明けて9.11だ。
3.11から6ヶ月、という日にもなってしまった。そんな日の朝なのに、総理が謝罪とかしてる・・・・・・・
 
なんだかいろんな思いはあるけどまとまらない。ともかく要支援地域はまだたくさんあるということを知ってください。先の気仙沼大島、女川の出島(いずしま)や小さな地域がまだまだ。
 
復興という面では、市町村合併が進んだせいだろうか、弊害と言っていいのか、こんな例がある。~~~~市の中心部には大きな水揚げ港があり、行政はその港が復活し市場が再開すれば市の復興が大きく進むと考える。しかし何kmも離れた地域だってあり、そこではそこの漁業を営んできた背景がある。
「カツオが水揚げ!」「サンマが水揚げ!」とそれはそれは嬉しいニュースだけど、遠くから見ている僕らはそこに加われない周辺の小さな漁業者のことを忘れて「復興だ~」と思い込んじゃいけない。シンボリックだし第一歩ではあるけど、全体の復興ではない。陰になりがちな部分がいつもあるんだってことを・・・・・。(ん~、なんかエラソ~でやだな~)


1109100211091003 突然話が変わるが、「カッパ先生陸地を行く」という本が家にある。高校の社会の先生が夏休みにラビットスクーターで東北一周をした旅行記だ。先生だけあって東北の風土・暮らしを記そうという旅なのだ。
 
どうして入手したのか覚えていない。生まれる前の昭和36年発行なのに父の本でもなかったらしいが、ともかく僕はこの本が気に入ってたようで小学校5年の授業で下手なブックカバーを作っている。釜石から宮古など知っている土地が出てるせいもあっただろうが、30年代の東北の話を理解して読んでいたのかなあ?その後も幾度も読み返しているので初見の印象は覚えていない。
 
ただ、この本で知ったことのひとつが三陸の津波だ。そのメカニズムはテレビの解説を待たず、この本にだって50年前に書かれている。
 
なかでも僕がよく覚えていたのは釜石のやや南、小白浜の古老の話だ。
明治29年6月15日の大津波を経験し、村人は崖の上に移り住んだ。しかし海に生きる人が海から遠い不便な生活を続けられず、いつしか浜に戻る。
そして昭和8年3月3日の深夜に再び津波がやってくる・・・・・・・。
津波はまた来ると考えなければならないのが難しい。
 
僕の親戚は釜石の浜町というところに住んでいたのだが、そこは魚市場の裏手の海と山が迫った地形だった。市場の裏を通るバス通りからもう坂が始まる。そんな地形を踏まえて、坂の途中に集合住宅を作ればと考えた。海側の1階に出入り口があり、山側の5階あたりにも車道が通じて出入り口がある。できれば1~4階には人は住まず、商業利用や駐車場や倉庫にする。 そうすれば海に近くて安全な居住エリアができるって。(ただし大きな町ではこれだけでは人口をカバーできないのが・・・・)
 
政府は(国会も?)阪神淡路や中越などの経験から瓦礫撤去→インフラ再構築→いっとき仮設へ→町の再建、という流れは持っていただろうけど、どこに町を再建するのか?どこに再建してはいけないのか?を示さないと何も進まないということに気づかず、切迫感を持って考えてなかったとしか思えない。 
 
あ、9.12になっちゃった・・・・・・ 
 
 
ついでに宣伝、陰になりがちな地域のひとつ、気仙沼市小泉地区への支援チャリティをSKB吉祥寺でやってます。ご協力よろしくお願いしま~す! 
http://caro--diario.cocolog-nifty.com/blog/kesen-bokin.html

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