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2011/08/10

そろそろ動こうとしている気配

なかなか時間がなくて日記を書かずにいたけど、東京に無事に帰っています。

古川あたりで物凄い雷雨に遭ったけど・・・・、調子こいて走っていたら福島県警の覆面パトに追いかけられたけど・・・・、無事に帰っています(笑)
 
 
110802011108020211080203  さて5日間「はまセン飛騨高山の湯」で活動してきた。
繰り返しになるが、南三陸町(旧志津川)ベイサイドアリーナでお風呂を提供する活動にあたっている。
 
以前、富山の兄弟さんが呼びかけに応じて送ってくださった2台の冷蔵庫はここで活躍している。お風呂のご利用者の皆さんに冷たい飲み物を提供したり、自炊の用意のないボランテイアに食事を提供したり。とても有難かった。ここは22日で閉鎖予定だが、冷蔵庫は地元被災者の方に譲られる手筈になっている。

お風呂には数人があたればよく、余剰ボラは戸倉にあるボラセンにお手伝いに出かける。戸倉での仕事を終えて戻るのが17時前で地域利用者が少ない時間帯なので、僕らも汗を流させてもらう。ありがたや~~ 。この風呂桶は実はワカメの塩漬けや稚魚養殖などに使うプールなのだ。 水戸の漁業関係者さんから寄付されたものらしい。
 
 
110802041108020511080206  お風呂あがりのドリンクサービス以外に、この時期は「チーム城北」というグループがいらしてて駄菓子屋サービスをやっていた。
 
彼らは子供を相手にするお仕事をされてるので慣れてらっしゃる。「なるほど、それで子供向けにね・・・・」と思っていたが、実際には子供だけではなく大人にもお好み焼きやぜんざいなどを提供。ずいぶんと和んだ雰囲気つくりに貢献されていた。
(バールやナタをぶらさげてるだけのヤツとだいぶ違うにゃ~、笑)
 
 
110802071108020811080209 戸倉のとあるお宅の裏山を拓きに行った画像だ。
 
左端は作業前。まず草刈機と人力で藪をはらい、奥から出てきた松の木をチェーンソーで倒す。
 
・・・・・が、最後の1本は倒す角度がまずくて他の樹に引っかかってしまった。そこで木登りオジサンmassiが手ノコとナタで落としにゆく。
 
 
110802101108021111080212 今回、いろんな方にお会いできたが、皆さん前を向かれていたのが印象的だった。5月の時点ではまだ先のことは俎上になかった気がする。

出発前後に「小泉地区、明日を考える会」の事務局長さんとメールをやり取りさせていただいていた。集団移転まできちんと視野に入れられてる英断に頭がさがる。移転も考えながら「小泉らしさ」をいかに残すかが課題だそうだ。

左画像は山の上の桑畑の跡。残念ながら漁業は断念されるが新たに山を拓いて農業で頑張ろうとしている方がいらっしゃる。
 
志津川でいちはやく再開した「かね久海産」の直売所では、行くと買い物の前にまず「まあまあ」と座らされてアズキアイスをご馳走になり、そこにたまたま居合わせた町議会議員さんといろいろお話することになる。
「ボラさん達は我々のことどう思ってるんだろう?」、「我々はボランテイアや支援に頼りすぎてはいまいか?」など。そういえばこれに近い話は小泉浜の地元の方もおっしゃっていた。

長い会話を簡単に書いてしまうと誤解を招いてしまいかねないが「可能な人は自力で頑張ろうよ」というお気持ちがあるようだ。もちろんそれは、さしあたっての日々の生活のことだと思う。街のインフラや職の再生など大きなものではなくてね。

右画像は古川黎明中3年生が贈った「福興」
 
 
110802131108021411080215 ちなみに「かね久海産」では期待してなかった三陸の海の幸が買えて嬉しかった。
 
ようやく買い物を終え、小泉浜に向かう。GWに皆が汗を流した蔵内漁港前のヤマザキが復活したというニュースが入っていたのだ。気仙沼のソウルフードと言われる(ホンマか!?)気仙沼パンを手に取り、お店の奥さんに声をかけると、震災の前後の写真を見せてくださった。
 
津波後、地形的によそのガレキも集まってしまい、1ヶ月以上も毎日ご主人と少しづつ片付けていたそうだが、2人でいくらやっても様子が変わらないのでため息ばかりついていたそうだ。そこへ「はまセン」がやってきて、何百人のボランテイアがやってきて、一気に片付いた!!ということだったらしい。
 
あの時はありがとうございました、とペットボトルのお茶をくださろうとするので「いやいや買い物に来たのに商品をいただいちゃ(それに僕は蔵内じゃなかったし)」と逃げたけど結局いただいてしまった。むむ~~。
ちなみに気仙沼パンはほんとに旨かった。僕はゴマではなく普通のクリームサンドのほうが好きです。
 
 
110802161108021711080218 僕の最終日は新たに20人の参加があると言うので、無理して活動せずに朝帰ろうと思っていたが、夜が明けても誰もこない・・・・・それなら、と午前だけ活動に参加する。いつもはクルマに分乗だったが一人途中で帰らなきゃならないのでカリフォルニアで出動。初めて南三陸(志津川)の街を縦断した。
   
ご覧のとおり。
ところどころ舗装がなく砂利道でバイクにゃホコリがツライ。舗装が痛んでいるのは引き波でアスファルトが剥がされたのだろう。水のパワーの恐ろしさだ。
志津川中心部はガレキは片付けられているが、ただそれだけのこと。この土地をどうするかが決まっていない。また個人宅には南三陸ボラセンから派遣されたボランテイアが入っていた。まだ片付けが済んでいないお宅もある。そして使い終わって丸めたアルミフォイルのような姿のクルマ達が大量に、そして整然と並べられている。個人所有物はそのまんま、というわけだ。
 
実際、先の町議会議員さんと話して支援の程度というものについては考えさせられた。いまクルマを贈る活動も進めてるし・・・・・・これは行き過ぎなのだろうか?と。ただ、「怪我が治ってるのに入院してる」ような状態に注意すべきなんだろうな。ひと通りの財産が霧消してしまった方々に対してはまだまだ支援は足りないでしょう。

特に蔵内ヤマザキの奥さんの話を伺って、「いまだに目の前のことで途方に暮れてらっしゃる方がいるはず。そこにはまだまだ支援が必要」と思ったよ。
 
 
 
最後の画像は南三陸町防災庁舎だ。津波から逃げるよう、最期まで放送で呼びかけ続けた若き女性職員が亡くなった建物だ。
 
あらためて合掌
 
11080219 


 
 
 



 
 


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