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2011/05/07

忘れてはいけないこと

110502011105020211050203   気仙沼から無事帰ってきた。応援そしてご心配のお言葉、励みになりました。

さて、小泉浜ボランティアセンター(以下はまセン)での1日をざっと書いてみよう。

04:30 日の出、鳥が鳴き始めて起床。5分ほど歩いてはまセンで携帯の充電をしておく。テント内の結露を拭いたりお茶したり散策したり雑談したり身支度したり。

07:00 はまセンへ。携帯回収。地元の方も動き始め、そろそろ朝食がセットされる。α化米が主流。好きなものを選ぶ。人によってカップ麺や缶詰も。仮設トイレ6基、うち2基が水洗。非水洗では携帯落下→行方不明事件1件勃発!

08:00 全体ミーティング。避難所の方々、地域の方々、ボランティア、地域の共同生活者全体が参加する。生活情報やトイレ当番や復興活動など。新着ボランティアはこのとき全員自己紹介する。帰路交通シェアのお願いもある。

09:00 作業班ごとへ、新着ボランティアの割り振りが終わり作業開始。以降1時間毎に10分の休憩。

12:00 昼食。おにぎりにカップ麺。13:00作業再開。

16:00 作業終了。全体ミーティング。その後夕食。おにぎりにカップ麺と缶詰と、日によって温かい主食あるいは副食がある。

17:00 希望者は風呂へ。はまセン2箇所の風呂は避難所男性・すべての女性・ボランティア男性に分かれて利用時間が決められている。GW中はボランティアが多いため男性はクルマで本吉体育館そばの自衛隊風呂まで行った。電気がきてないのでこのころから徐々に暗くなる。

21:00 就寝。僕は風呂へ行かず、少しの水で石鹸洗顔、水なしシャンプーで頭ケア、ウェットテイッシュでカラダ拭きをし、お茶を飲んでブログなどアップしてるうちにウトウト眠くなる。2日夜は強風、3日夜は雨、4日夜は星、5日夜は曇り、5日は人が減って静かだった。
 
 
1105020411050205 ここではあたかも小さなコミュニティーの一員になって入り込んでゆくカタチをとる。

全体ミーティングの内容は、地域のかたにだけ、またボランティアにだけ関係することや、全員に関係することもあり、すべて共有する。地元・避難所の方や子供たち(通学年齢前の子ばかり)と会話を交わすことも多かった。

他のボラセンではドリンクやオヤツの提供はあるが、はまセンでは事前連絡の段階から「避難所で食事も共にしてください」と言われていた。もちろん自分の滞在期間に応じた食料+αの持ち込みが前提だ。僕はmeimeiさん提供の米6kgに、友人たちからのカンパで買った豚肉2kgたまねぎ4袋イチゴとプチトマト各100個相当を持ち込んだ。キャベツも数個買いたかったけどもう積めなかった。

実際にはテントや車内で自前の食事を摂っている方もいた。普通はそうなんだよね。でもまあこの際、避難所の生活に近い状態を体験しておこうと思って、インスタントカフェオレ6本だけ持ってそれ以外は個人携行食料ゼロ、のど飴以外のおやつゼロ、と決めた。ビタミンと繊維不足は明らかで、便通がまばらになった。

α化米は問題なく食べられるが、4日めに出たおにぎりは旨かった!あれは炊いた米だな。α化米連投後だけにすぐわかる。あれは僕が積んでいった新潟コシじゃなかろうか・・・? あと缶詰だけど、甘みが強い蒲焼味よりも味噌煮味のほうが連食に耐える。なお、巨大余震の予測も出ていたので、非常時にはカリフォルニアで逃げられるように禁酒した。奇しくも4泊5日の禁酒は今年2回目になる。
 
 
110502061105020711050208 通常、ボランティアは特殊な(危険な&専門的な)作業には立ち入らないとよく言われる。
が、ここでは依頼をすべて受け入れていた。他所でもよく見られる片づけや清掃や思い出品探し作業以外では、たとえば屋根の引き降ろし、崖に引っかかったガレキの撤去、木材の焼却(野焼き)などなど。

木材はそのまま漁港におろして焼いた。5日は漁業関係の皆さんも壊れた網小屋の撤去など始めて、一緒に盛大に燃やした。途中消防がきてスピーカーで「ごくろうさまです~、ほどほどにお願いします~」(笑)と・・・・・海の男たちは豪快に燃やし続けたけど。

作業終了後、海の男のお一人が「三郎の湯沸かすから入ってけろ~!」とおっしゃる・・・・・・・そうか~、避難所生活を少しでも知るために(それとクルマ乗り合いで自衛隊風呂に行くのも億劫だった)風呂も入らないつもりだったのだが、5日午後はボランティアも減ってることだしせっかくだから行ってみた。

ここは「サブロー&飛騨高山の湯」という。はまセンを立ち上げた高山のNPOが機材を持ち込んで、そしてビニールハウスの持ち主が三郎さんとおっしゃるのだろうか?ちなみに高さ1mほどの差でこの隣から下のビニールハウスは全滅し(右画像は片づけられたビニールハウス、津波が来るとは思えない高さにある)、ただ1棟残ったビニールハウスなのだ。ジャストな湯加減のすばらしい風呂だった。テントまで10分歩くので冷えないようによっく温まった。
みんな写真を撮ってゆくが、こっそりパチリの人が多い。ネット公開前提で「すみませ~ん、ナイスなリアクションお願いしま~す」とみなさんに協力してもらった。(笑)
 
 
1105020911050210 ボランティアは全員カラダの前後に名前と活動最終日をガムテに書いて貼っている。
僕は5日の作業を最後に、6日の朝帰ろうと思っていたのだが、6日の昼まで残った。若きリーダーたちが「え~っ!ほんとに帰っちゃうんですか~?」半笑い半マジでイジメルし、そういうやり取りがなくても自発的に1日半日と予定を伸ばした人はあちこちにいた。

みんな知ってるからね。GWが終わるとほとんどのボランティアが帰って作業は滞る。
あと、作業チームの居心地のよさ、地域コミュニティーに関わったゆえに引かれる後ろ髪。

最後、今朝磯エリアのメンバーで記念写真をお願いした・・・・・ら、みんな続いてカメラを取り出す(笑)
あまりはしゃぐのは控えなきゃならないのだけど真ん中でひっくり返ってるのはエリアの統括リーダーだ。「リーダー会議で怒られるかも」と言いながら。兵庫出身の彼は朝のメンバー募集時に「手と口がよく動く方募集~♪」と呼びかけるが自分がもっともしゃべってる明るい男だ。

テント撤収、身支度後、4日ぶりのカリフォルニアでテントサイトから降りてゆくと、ちょうど分隊チームがいて再び記念写真(分隊は男臭いでしょ!)。みんなと握手でお別れ。足を上げてるのが分隊リーダーで彼の握手は長く強かった。

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さて、体験談を楽しげに書いたが、忘れてはいけないことがある。

僕が入った今朝磯地区ではそこそこ片付けが進んで、たとえば道幅も確保できた。だが土台から浮いて流れた家屋は離れたところで逆さになっている。この先、行政が重機を入れてくれればよし。でもまだその先、あらたに家を作り直さなければならない。

漁港では漁船が2隻に船外機ボートが何艘か生き残ってたが、網小屋や漁具は全滅、港内には養殖ワカメのロープが漂着している。

ひとり火の番で漁港にいたら海保のゴムボートが接岸してアクアラング姿の隊長さんに現在位置を聞かれた。まだご遺体探しは続いているのだろうか。

小泉浜のはまセンは高台にあり、被災箇所は海抜の低いところで限定的だったために心穏やかに過ごせたが、4日ぶりに再びカリフォルニアにまたがって、まっ平らになってしまった本吉の町を走ることになった。途中、往きと同じように合掌し、最後にワンショットだけ撮らせてもらった。

残されたがれきは撤去されて一面の荒野だ。歩くとじゃりじゃりと音がする足元から繋がって、かつて町があった荒野が広がっていた。これの復興は生半可ではない。生半可ではないことは知れている。ここに戻れなくて小さな場所に肩寄せあってる人々のことを常に思おう。もちろん僕らにも実生活があり、レクリエーションに興じることもあり、そこは上手にバランスをとって。上から下までがちゃんと思っていれば少しでも復興は早くなるはず。
 
 
11050212

 

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コメント

便通がまばら、風呂の写真、停電し、食料が無かった時の僕達と一緒です。米しか食わないから出ないんですよねえw
それはさておき、
僕が言うのも何ですが、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
同じ宮城県民として、ボランティアの方には感謝しかありません。

最後に、無事に帰られたようで良かったです。安心しました。また家にも来てくださいね。では。

投稿: Kamapyon | 2011/05/07 22:08

Kamapyonさん、お晩です。
おっと誰かと思った(笑)

2007中越沖地震のとき、柏崎に伊豆から来てたボランテイアが「東海沖でなにかあったときはよろしく」と言ってました。
物資支援もボランテイアもお互い様なんですね。対応できる地域や人が動く。

帰路は若柳金成ICに乗ったのが3時前でした。素通りしてごめんなさい。また遊びにいきます。

投稿: massi | 2011/05/08 22:38

MASSIさん、ボランティア活動お疲れ様でした!!

私ははせいぜいコンビニで募金したり、
経済血液の循環を少しでも・・・ということしか出来ませんでしたが、

MASSIさんが現場へ行って汗と涙を流したことに、
友達として心から誇りに思います。

ありがとうございましたm(__)m

投稿: 富山の兄弟 | 2011/05/12 19:24

富山の兄弟さん、お晩です。

・・・ということしか出来ませんでしたが

「ということしか」なんてことは絶対ないと思います。

ボラに行くというのは目だって見えるかもしれませんが、僕がたまたま暇人で、家庭的にも社会的にも身軽だったから行けただけの話です。それに僕のように無責任にフラフラしてる人間はこんなときに動いとかないと・・・(笑)

いい浜でしたよ!少しでも早く復興していただいて、みんなで海鮮キャンプしに行きたいですね~!!

投稿: massi | 2011/05/13 21:23

6日間 お疲れさまでした。
臨場感ある レポでした。
現場のお風呂は 蓮華温泉より
もっと素晴らしいと思いました。

投稿: minoguzzi | 2011/05/17 03:51

minoguzziさん、お晩です。

はい、いいお風呂でした。
広~いビニールハウスの一角ですきま風を感じながら、みんなドロドロなので足元には砂がたまった・・・・そんなお風呂でしたが。

投稿: massi | 2011/05/18 01:13

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