« ツララ | トップページ | 見上げてごらん »

2009/12/25

松姫の哀しみを

091225010912250209122503 以前、戦国時代の行動食「糒」の話をしたが、それを見たある方が「昔は芋がらを味噌で煮詰めたのを湯で戻して味噌汁にして食べたそう・・・」と教えてくれた。

調べると確かに戦国後期まで多用されてたらしい。画像左の黒いのがその試作品だ。これを食べる場所に浅間尾根をチョイス。普通に登ってもつまらないので笹平バス停から松生山めざしてスタート。取り付きの小さなお社に手を合わせて登りはじめた。

作業道らしき踏み跡を一気に200mほど登る。あんまり安定していないうえ、優しさのカケラもなく直登だ。時に両手両足を総動員し大汗をかく。
 
 
091225040912250509122506 ここは浅間尾根の東の端。浅間嶺まで行けばその先の登山道は江戸と甲州を結んだ古道だった道なのだ。この一帯には「松姫伝説」というものがある。オートバイで奥多摩を走る人なら松姫峠という地名を知っているだろう。

踏み跡は消えたり見えたりだけど、地形がはっきりしてるので迷うところはない(と書いたけど地図も磁石も持たずに行かないように)。せいぜい思いのほかコブが多くて疲れるくらいだ。700mを越えると南の展望が開けるが、笹尾根になじみの山がないので名もわからず・・・。

一面落ち葉の尾根道は気分がいい!が、メントスの包みを発見、回収。人が通らないせいかゴミもまったく見なかったのだけどね。取り付きから浅間嶺の手前までコレ一つっきりだった。
 
 
091225070912250809122509 松生山(まつばえやま)933mに到着。その先、胸の高さの笹が道にかぶっていた。冬でよかった(笑)

さて松姫。
松姫は武田信玄の娘なのだ。信玄没後、長篠での大敗があり、ついに天正十年正月(1582)に織田軍の侵攻が始まる。負け続ける武田軍を後に、松姫はほかの何人かの姫君を連れて北条氏を頼って東へ東へ逃避行。

僕は古からの往来に合流して浅間嶺の展望台へ。武田の落人が通った道でいよいよアレを。

さっそくお湯で糒を戻して、ネギと芋がらを入れて食す。
それだけで「味噌汁のように」というわけにはいかず、ほんのり味噌風味という程度だ。昔の味噌はもっと濃かったのかな?でも芋がらを噛むと味が出てうまい。湯漬けの菜に芋がら味噌漬けを食べてるという図式が正しいかな?
 
 
091225100912251109122512 腹ごしらえが済んでさらに西へ。
40分ほど歩いて浅間石宮に出た。小さな小さな祠だ。松姫が兄武田勝頼の冥福を祈った場所であるという。

今日前半の明るい道と違い、ここは尾根を北に巻いて暗く、道は固く凍っている。
勝頼が自害したのは天正十年三月十一日、同時期に松姫がここを逃げていったとすればやはり冷たい道のりだったはず。平安時代と違い甲斐武田のものとはいえ姫の身にはつらい旅だったことだろう。

浅間嶺まで戻ると飛行機が見えた。
空と下とで旅のカタチがずいぶん違うこと(笑)
 
 
091225130912251409122515 桧原の本宿に降り、「たちばな家」へ。手打ちラーメンで知れたお店なのだがなかなか来るチャンスがなかったのだ。

で、ラーメン食べにきたのに目についた馬刺しを頼んでしまう。
クリスマスに馬刺し・・・・・・・まあトナカイ食うてるわけじゃないからいっか!?(笑)

ラーメンはいわゆる「海のラーメン」の態。ナルト、チャーシュー、ノリ、ほうれん草・・・・・・
手打ち麺はやっぱ美味い、プルプルといいコシ。味も決して「海の家」などではなく正統醤油味であった。

ん~~~~~~~、歴史ロマン旅のはずが、最後崩れたにゃ。

|

« ツララ | トップページ | 見上げてごらん »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ツララ | トップページ | 見上げてごらん »